1980-11-13 第93回国会 衆議院 内閣委員会 第10号
昭和二十四年以降三十年の段階までは第一線におったり中央で労働組合の委員長等もやって、あのときは吉田内閣当時の非常にあらしが吹いた時分で、廣川さんの家を訪ねたり根本さんが農林大臣のときに中目黒の家に雨の日も風の日も訪れたり、あらしの中でずいぶん苦労した経験を持っております。
昭和二十四年以降三十年の段階までは第一線におったり中央で労働組合の委員長等もやって、あのときは吉田内閣当時の非常にあらしが吹いた時分で、廣川さんの家を訪ねたり根本さんが農林大臣のときに中目黒の家に雨の日も風の日も訪れたり、あらしの中でずいぶん苦労した経験を持っております。
私もそのころ国土総合開発特別委員会の理事をつとめておったのですが、廣川弘禪氏が委員長で、いまの大蔵大臣の愛知揆一氏も理事の一人で、東北開発問題で非常に盛んに議論をし合ったものです。 しかしいまこうなりますと、この法律案が通ったとしますと、関連して国土総合開発庁がスタートするそうですね。経済企画庁は存在する。この二つの役所は国会に審議機関を全然持っていないのです。どういうことになるのか。
たとえば官房長官と対立して罷免をされた平野力三農林大臣、遺家族援護の問題で党と衝突をしてやめた橋本龍伍厚生大臣、文教政策で対立をした天野貞祐文部大臣、麦価、麦の値段、これで対立をいたしました内田信也農林大臣、あるいは吉田総理が懲罰委にかけられるので、これに同調をしたというのでやめさせられた廣川弘禅農林大臣、あるいは国防会議構成法を提案をしたけれども、それが国会で審議未了になったというので直ちに辞表を
そういうことは別として、これらを除いた場合は七%、全部突っ込んでどんぶり勘定で見ても全体に占める割合は一〇・六%、廣川弘禪さんが大臣をしたときは、当初予算が全体では一四・四%だった。あのときよりもきびしいですよ、いまの農業情勢は。せめて一四・四%という大ワクを確保したならば少なくともそれで千六百億程度は、これはまだとるべき当然の予算ワクではないのですか。
したがいまして、廣川農林大臣であったかと思いますが、ああいうむちゃな、つまり約束を旧地主に守らない政府がだらしがなかったといいますか、そういうことを守らなかった、そこに問題があると思います。 それから私どもは、その価格が当時安かったから、その後価格が上がったから追加補償しろということになりますと、今日の公用土地の取得におきましても、土地買収は時価買収ということになっております。
参考人 日本放送協会会 長 阿部眞之助君 日本放送協会副 会長 溝上 銈君 日本放送協会専 務理事 前田 義徳君 日本放送協会専 務理事 田辺 義敏君 日本放送協会専 務理事 小野 吉郎君 日本放送協会理 事 赤城 正武君 日本放送協会経 理局長 廣川
日本電信電話公 社施設局長 平山 温君 参考人 日本放送協会会 長 阿部眞之助君 日本放送協会専 務理事 前田 義徳君 日本放送協会専 務理事 小野 吉郎君 日本放送協会理 事 赤城 正武君 日本放送協会理 事 三熊 文雄君 日本放送協会経 理局長 廣川
日本放送協会昭和三十五年度財産目録、貸借対照表及び損益計算書並びにこれに関する説明書の審査のため、日本放送教会の会長阿部眞之助君、専務理事前田義徳君、専務理事小野吉郎君、理事赤城正武君、理事三熊文雄君、経理局長廣川義和君を、それぞれ参考人に決定いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○廣川参考人 放送法に規定いたされております巡回相談に使います部品、あるいは共同修理に使います部品、そういったものでございます。
○廣川参考人 とっておりません。
○廣川参考人 大体そうでございます。
これは、食糧増産費というものは、廣川農政の時代に、食糧の増産ということでありますから、これに対する土地改良というものは、大体米の増産に重点を置いておりました。大体米が充足されたからというので、それをうとんずるわけではないけれども、さらに畑地の方向に進めていかなければならぬ。総合的な、多角的な基盤整備にしなければならないということで変わったのであります。
具体的に少し申し上げてみますと、御承知の通り二十九年の一月には自民党の農林大臣の廣川弘禪氏があっせんをいたしまして、それまで分散をしておりました全国の旧地主団体を統一いたしまして、全国農業再建協同組合というものを全国的に結成された。その際のあっせん役は廣川弘禪氏である。
そうしますと、その十六名のうちで十二カ年の間で予算を一番取ったのは廣川農林大臣、その次が河野農林大臣、それから現在は福田農林大臣がこれはもう一番取っておると思う。この三大臣は、農政の三支柱と言っても過言ではないと思う。そういう関係で、今度の大臣が過去の農業協同組合の大会で、おれは大蔵省にもいたんだから取り方をよく知っておると言われた、それが今度の予算の大綱じゃなかろうかと思うのです。
○高田(富之)委員 それでは、その安定制度ということを盛んに強調されるわけですが、さっきもあなたがおっしゃったのですが、理事長さんからもこの間御説明がありましたように、かつて昭和二十六年に時の農林大臣廣川弘禪氏あてに横浜取引所理事長から念書が入っておる。さっきもあなたがこれを引用されたわけですね。この念書があるのだからというようなこともおっしゃっている。
、こういうことで、石黒武重さんの名前で当時の農林大臣廣川弘禪氏に出ておりまするが、これは、御承知の通り、糸価安定ができる前にこの取引所ができたので、こういうふうな物統令の文書が出ておる。
廣川弘禪氏が農林大臣のときに、いわゆる肥料の赤字を農民にぶっかけるなという問題が起ったが、ケースをかえれば、この鉄鋼の去年のいわゆる値下りあるいは輸出のダンピングというものの赤字を、このカルテルを利用しての建値の引き上げにぶっかけてきている、こういうように思わざるを得ない。
内藤友明君紹介)(第二八九 〇号) 二八二 同外一件(原彪君紹介)(第二八九一 号) 二八三 同外五件(林博君紹介)(第二八九二 号) 二八四 同外二件(鳩山一郎君紹介)(第二八九 三号) 二八五 同外二件(濱野清吾君紹介)(第二八九 四号) 二八六 同(橋本龍伍君紹介)(第二八九五号) 二八七 同外百三十二件(花村四郎君紹介)(第 二八九六号) 二八八 同外三件(廣川弘禪君紹介
二階堂進君紹介)(第一六六五号) 二八四 同(西村直己君紹介)(第一六六六号) 二八五 同(西村力弥君紹介)(第一六六七号) 二八六 同(畠山鶴吉君紹介)(第一六六八号) 二八七 同(鳩山一郎君紹介)(第一六六九号) 二八八 同(濱野清吾君紹介)(第一六七〇号) 二八九 同(花村四郎君紹介)(第一六七一号) 二九〇 同(林讓治君紹介)(第一六七二号) 二九一 同(林博君紹介)(第一六七三号) 二九二 同(廣川弘禪君紹介
中村高一君紹介)(第二八八八号) 同外五件(中村梅吉君紹介)(第二八八九号) 同外五件(内藤友明君紹介)(第二八九〇号) 同外一件(原彪君紹介)(第二八九一号) 同外五件(林博君紹介)(第二八九二号) 同外二件(鳩山一郎君紹介)(第二八九三号) 同外二件(濱野清吾君紹介)(第二八九四号) 同(橋本龍伍君紹介)(第二八九五号) 同外百三十二件(花村四郎君紹介)(第二八九 六号) 同外三件(廣川弘禪君紹介
総理府事務官 (自治庁長官官 房財政再建課 長) 長野 士郎君 大蔵事務官 (大臣官房財務 調査官) 大月 高君 北海道東北開発 公庫総裁 松田 令輔君 ————————————— 四月十日 委員伊藤郷一君、田中正巳君、廣川弘禪君
同(永山忠則君紹介)(第一六六四号) 同(二階堂進君紹介)(第一六六五号) 同(西村直己君紹介)(第一六六六号) 同(西村力弥君紹介)(第一六六七号) 同(畠山鶴吉君紹介)(第一六六八号) 同(鳩山一郎君紹介)(第一六六九号) 同(濱野清吾君紹介)(第一六七〇号) 同(花村四郎君紹介)(第一六七一号) 同(林讓治君紹介)(第一六七二号) 同(林博君紹介)(第一六七三号) 同(廣川弘禪君紹介
南條 徳男君 二階堂 進君 丹羽 兵助君 西村 直己君 根本龍太郎君 野澤 清人君 野田 卯一君 野依 秀市君 馬場 元治君 橋本登美三郎君 橋本 龍伍君 長谷川四郎君 畠山 鶴吉君 八田 貞義君 濱地 文平君 濱野 清吾君 早川 崇君 林 讓治君 林 博君 原 健在郎君 原 捨思君 平野 三郎君 廣川